歴史ゆうゆう
【日本史めぐり~室町時代~】豊島氏の石神井城跡に行ってみた
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どうも。
ゆうゆうです。
私が育った場所は東京都練馬区という場所です。
その中でも歴史に触れることができる石神井城跡に行ってみました。
石神井城跡とは
そもそも石神井城は平安時代末期~室町時代中期まで、現在の東京の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、足立区、板橋区、練馬区やその周辺地域に勢力を持っていた豊島氏の居城のひとつです。
東京23区の約なんて3分の1をこの豊島氏が勢力を持っていたなんてすごいですね。
よく漫画のワンシーンとかヤンキー中学生の会話の中で、この中学とこの中学は、この人が有名で仕切っていたなんて、よく学生のころ、小さい規模の話を聞きましたが、規模が違えど、やっぱり昔から縄張りとか勢力とか群雄割拠とか、どの時代にもあるのだなと感じてしまいます。
そんな地域で幅をきかせて、仕切っていた豊島氏。
そんな豊島氏も対立していた新興勢力の太田氏によって、滅亡に向かっていきます。
江戸城を築いた太田道灌(おおたどうかん)は、豊島氏との対立を深め、さらに勢力を広げてゆく中で、互いにぶつかりあいます。
1477年、太田道灌が石神井城主である豊島泰経(としまやすつね)を攻めて、石神井城を落とします。
見ての通り太田氏の回りは敵対する拠点だらけ。
下剋上の序章なのでしょうか。
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勢いのある太田氏は回りの城を次々落として、豊島氏を滅亡させます。
因みに、画像中央にある練馬城は現在、遊園地となっている「としまえん」にあたります。
この「としまえん」も豊島氏の名にちなんでつけられたそうです。
よく幼少期は、としまえんに行って遊びましたが、ちゃんと歴史があったなんて、今になって知りましたよ。
まあ、だから、歴史はおもしろいのですが。
そんな石神井城跡は東京都練馬区にある石神井公園内にあり、石神井城跡の特に保存状態の良い場所には、人が入れないようにフェンスで仕切られていました。
少し丘になっていて、この高い場所に石神井城が石神井川と三宝寺池に挟まれ、そびえ建っていたのだろうなと感じさせる場所でした。
しかし、この辺り一帯に勢力を広げていった江戸城を築いていった太田道灌についてもう少し調べてみようかな。
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